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東京地方裁判所 昭和45年(ワ)7088号 判決

原告 池畑忠男 外一名

被告 国

訴訟代理人 新井旦幸 藤浦照生 上田勇夫 馬場宣昭 高橋欣一 根本真 清野清 外二名

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告池畑忠男に対し金八万〇一〇〇円を、同池畑ふ志のに対し金七万二〇〇〇円を各支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  原告らは夫婦でその間に幼児一人があるところ、原告池畑忠男は昭和四六年一月から同年九月二〇日まで株式会社精工舎に、翌二一日から同年末まで全国金属労働組合精工舎支部に勤務し、賃金合計一四八万一九四五円の、同池畑ふ志のは同年一月から一二月まで右精工舎に勤務し、賃金合計一二三万四六七一円の各支払を受けた。

2  原告らは昭和四六年分所得税として原告池畑忠男において八万〇一〇〇円を、同池畑ふ志のにおいて七万二〇〇〇円を各源泉徴収手続により国に収納された。

3  しかし、右所得税の収納は次のような違憲無効な法律に基づいて行われたものであるから、法律上の原因を欠くものである。

すなわち憲法第八四条が規定する租税法律主義とは、イギリスのマグナカルタ及び権利請願並びにフランス人権宣言へと続く歴史的沿革に照らすと、右規定は単に租税の創設、改廃あるいは徴税の手続を法律で定めさえすれば足りるものとしているのではなく、税法における納税者の基本的人権を保障するため税額決定の方法から徴税の手続に至るまで納税者の主体的権利、実質的平等及び生存権を保障した民主的かつ合理的な制度を要請しているものであるところ、かかる見地から給与所得者の所得税徴収の仕組みを検討すると次の問題点が存する。

(一) 源泉徴収制度の違憲性

給与所得者に対する源泉徴収制度は昭和一五年に当時の増大する戦時財政を支えるために導入されたものであるが、次のような問題点を有する。

(1) 所得税法所定の各種所得の金額は、暦年終了時、すなわち一二月三一日午後一二時に確定し、これによつて納税義務が成立する。事業所得や不動産所得などの一般の所得についてはこのように納税義務が成立した後、納税義務者が翌年の二月一六日から三月一五日までの間に確定申告することにより税額が確定することとされ、右確定申告に対し税務署長が違法な更正処分をした場合には納税義務者はこれに対し異議申立及び審査請求並びに訴えの提起等の不服申立手段が保障されている。

しかるに給与所得者の場合は、年間所得額が未確定であり、従つて納税義務が未成立であるのに給与の支払を受ける都度支払者が所得税額を給与から天引し、翌月の一〇日までに国に納付しなければならないとされているため、本来の納税義務者である給与所得者は、納税義務の成立以前に源泉徴収による天引を強いられるのである。なお、国税通則法第一五条第二項第二号は、給与所得税の源泉徴収義務は給与の支払の時に成立する旨、同条第三項第二号は右の源泉徴収義務の成立により納付すべき税額は特別の手続を要しないで同時に確定する旨を規定しているが、これらの規定は、支払者に対する源泉徴収義務の成立と税額の確定を規定したものであつて、給与所得税の納税義務者である給与の支払を受ける者に対する関係で納税義務の成立とその税額の確定を規定したものではない。要するに給与所得者は徴税者側の便宜だけのために早期納税を強いられ、課税の客体としてのみ扱われ、自らの申告により税額を確定する権利及び納税に関する不服申立の権利の双方とも認められていないのである。納税義務者たる国民に税に対する関心が高まることは民主社会の要請であり、申告納税制度は右要請に応える重要な制度であるところ、給与所得者を他の一般の所得税の納税義務者から差別して右制度から除外し、確定申告に基づく納税という手続上の権利と権利救済制度である不服申立権を奪うことは一般の所得税の納税義務者と比較して甚だしく不利益かつ不平等に待遇するもので、かかる源泉徴収制度を定める国税通則法第一五条第二項第二号及び所得税法第一八三条第一項その他の諸規定は憲法第一四条第一項に違反し無効である。

(2) 憲法第三一条が定める適正手続の規定は、国家が国民の権利、自由を制限、剥奪するには法律の定める手続に従うとともに、その手続の内容自体も適正なものであることを要求している。この適正手続の原理は直接的には刑事手続を主眼として規定されたものとみえるが、〈1〉適正手続の原理の母法ともいうべきアメリカにおける憲法上の適正手続条項及びそれをめぐる判例の展開、その背後にある手続的正義の理念の現代的意義、〈2〉現代法治国家における違法行政に対する救済方法が事後的な司法的救済のみから行政手続の整備及び操作による事前救済の二本立の方向へ発展しているのが世界的傾向であること、〈3〉国民の権利、自由の侵害、剥奪である限りそれが刑事手続によるものであろうと、行政手続によるものであろうと権力による一方的侵害、剥奪には変わりがなく、その意味で手続的保障を必要とする点では行政手続も刑事手続と同一であること、〈4〉行政権の行使が増大し、行政権による国民の権利、自由に対する制限が目立つて多くなつた現代国家においては、行政権を手続的に制限することが人権保障にとつて必要不可欠であること等を勘案すると、行政手続にも憲法第三一条が適用されると解すべきであり、少なくとも準用又は類推適用されるものと解すべきであるから課税という行政権の行使についても適正手続の保障が要求されると解すべきである。かかる観点から源泉徴収制度をみると、右制度は合理的かつ正当な理由がないのにかかわらず、給与所得者を他の一般の所得税の納税義務者と差別して申告納税制度から除外し、確定申告に基づく納税の権利及び不服申立権を奪うものであるから源泉徴収制度を定める諸条項は憲法第三一条に違反する。

(3) 憲法第八四条が定める租税法律主義とは、納税義務者、課税要件、税率、納税方法及び不服申立手続等が法律によつて定められることだけではなく、これらについて定めた法律の規定が憲法の各条項とりわけ基本的人権保障条項の趣旨に則した合理的なものであることを要するところ、前述した如く源泉徴収制度を定める諸条項は憲法第一四条第一項及び同法第三一条に違反するものであり、かつ同法第二五条にも違反するものであるから租税法律主義を定めた同法第八四条にも違反する。

(二) 給与所得者に対する生計費課税の違憲性

所得税の負担は担税力に応じた公平なものでなければならないが、このためには所得の性質に応じた担税力ある所得部分の把握が不可欠であるところ、所得税法上給与所得については勤労者の生計費を含む必要経費の控除が認められておらず、給与所得控除の制度があるにすぎない。右制度の趣旨は税制調査会の答申などによれば、勤労に伴う必要経費の概算控除、源泉徴収による早期納税の金利調整、給与所得の担税力の弱さに対する調整及び給与所得に対する把握度の調整の各側面を有するものとされており、その性格は極めてあいまいであるところ、仮に右のように給与所得控除の制度が必要経費の概算控除としての性格を有するとしても次のような問題が存する。

(1) 勤労者の賃金収入はその労働力を提供した対価として得る点に特質があるところ、この労働力は労働者の生活の中で維持され再生産されるもので、この労働力の再生産のための費用に当たるものが労働者が得た賃金収入から支弁される生計費である。

(2) ところで利子、配当、不動産の賃貸料等は貯金、株式、土地及び家屋等の元本が存在し、元本があることにより収入が発生し所得を得ることができるからこれらの所得者にとつては生計費は必要経費とはいえないが、原告らのような賃金労働者にとつて生計費は前記のように労働力の再生産費用というべきであるから所得税法上も必要経費に当たるというべきである。このことはアダム・スミスを始めとして古典派経済学において賃金が税源となり得ないとされてきたことやシヤウプ使節団の勧告において、「勤労控除は個人の勤労年数の消耗に対する一種の減価償却の承認である。」と述べられていることに照らしても明らかである。なお、被告は、必要経費とは、その支出の増加が収入の増加に結びつくような費用を意味するところ、生計費の支出は収入の増加をもたらさないからこれに当たらない旨主張するけれども、必要経費をそのような意味に解すべき根拠はなく、労働者の生計費は、労働力を再生産するための費用であり、賃金収入を維持確保するために必要な経費であるから、必要経費に当たると解すべきである。また、被告は、身体の維持のための活動は、人間の経済的活動以前の本質的なものであつて、生計費は、収入の増加に結びつかない所得の処分、消費たる性質を有するというけれども、労働者は、その生計を営むことによつて身体を維持して労働力を提供し、その対価として賃金を得てその賃金をもつてまた生計を営むものであるから、生計費は必要経費に含まれるというべきである。

(3) 従つて、賃金労働者につきその生計費を必要経費として控除することを認めない給与所得に関する現行課税制度は、事業所得等に関しては必要経費につき実額控除が認められているのに比べ原告ら賃金労働者を著しく不平等に取り扱うもので、所得税法第二八条は、憲法第一四条第一項に違反し、それ故に同条が基準内容となる同法第三〇条、第八四条にそれぞれ違反し無効である。

(三) 給与所得者に対する最低生活費課税の違憲性

憲法第二五条第一項はすべての国民に健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を保障している。これはワイマール憲法第一五一条の「人間に値すべき生存」や世界人権宣言第二二条にいう「自己の尊厳と自己の人格の自由な発展とに欠くことのできない経済的、社会的及び文化的権利」の保障と同じく国民の現実的な生存、あるいは生活のために必要な物質的諸条件を国家の積極的な施策により保障すべきことを定める生存権的基本権の理念を明らかにしたものにほかならない。そして憲法第二五条により直ちに国民が国に対して最低限度の生活を維持するために必要な諸給付を直接請求する権利を取得するか否かは別にしても、少なくとも国が立法行為又は行政行為によつて憲法第二五条の趣旨に反する行為をした場合右行為は違憲無効と判断されざるを得ないことは生存権的基本権を保障したことの必要最少限の効果として広く承認されているところである。この原則を租税行為についてみると国は国民の健康で文化的な最低限度の生活を侵害するような課税、徴税を立法、行政のいずれの形式によつても行つてはならず、最低生活費非課税の原則が憲法第二五条により要請されているのである。

(1) 最低生活費非課税の要請は、すべての国民に健康で文化的な最低限度の生活を保障するためのものであるので人的控除すなわち基礎控除、配偶者控除及び扶養控除の合計額で充足されねばならず、給与所得控除は必要経費の概算控除としての性格が強いからこれを課税最低限の保障に含ましめるのは妥当ではない。

(2) 最低生活費について

(ア) 憲法第二五条第一項に定める最低限度の生活を維持するために必要とされる生活費を最低生活費というが、この最低生活費とは動物的生存を満たすだけの最低の生活費を意味するものではなく、社会的、文化的存在である人間が健康で文化的な生活を営むに必要な最低の生活費をいうものである。

(イ) 総評の試算した理論生計費は前記の最低生活費をその時代の生活水準と消費実態に基礎をおき社会的常識を踏まえた最低限度の生活モデルに基づいて計量された客観性を有する最低生活費であるが、これによると昭和四四年四月基準の理論生計費は二人世帯で一一万一三二八円、四人世帯で一八万八二〇三円(以上月額)であり、同四八年八月基準の理論生計費は二人世帯で二五万四〇〇〇円、四人世帯で四五万六〇〇〇円(以上月額)である。なお、税制調査会が昭和三五年一二月答申において基礎としている仮定生計費は、マーケツト・バスケツト方式によるいわゆる大蔵省メニユーに基づき算出した基準生計費を消費者物価指数によりひきのばした額であり、マーケツト・バスケツト方式による試算の数字が非現実的な低いものであつたこと、生活構造の質的変化に則した生計費からは著しく乖離していること等から、課税最低限を判断する基準としては不適当である。また、総理府統計局の家計調査の消費支出は、実質的な生活費支出のうち、食料費、住居費、光熱費、被服費及び雑費の五大費目のみに限定されているため、現実の生活のために必要とされる支出とは異なつているし、調査対象にも偏りがあるので、課税最低限と比較するのは適当でない。また、人事院の標準生計費については、マルチプル作成にあたつて並数階層によるマルチプルを選択していること、世帯人員数別費目別消費支出の傾向値を算出するにあたつて、最少自乗法に「ゼロ点通過の二次式」を使用していることという技術的難点のほか、作成目的等からする限定があり、課税最低限と比較するのは妥当でない。

(ウ) ところで、原告らの昭和四六年度の所得税の課税においては、両名の人的控除の合計額は年額五二万五〇〇〇円(原告ら各自の基礎控除額一九万五〇〇〇円、原告池畑忠男につき扶養控除額一三万五〇〇〇円)で、これに給与所得控除を加えても年額一二二万円余にすぎず、これは月額にすると一〇万一〇〇〇円強にすぎない。

(3) 原告らは三人世帯であるところ、原告らの昭和四六年度の所得税課税に際して適用された人的控除額は仮に給与所得控除額を合算しても昭和四四年四月基準の総評理論生計費の二人世帯の生計費より低額であるから右合算額が原告ら家庭の健康で文化的な最低限度の生活を維持する額に満たないことは一見明白であつて、結局原告ら家族の最低生活費にも課税していることに帰着し、従つて憲法第二五条に違反する。ところで最低生活費に食いこんで所得税が徴収される税制度がとられている場合にはその税制度そのものが制度違憲となり、その制度に基づいてなされた所得税の徴収は合憲的根拠を欠き無効といわねばならない。すなわち原告らは所得税法の諸控除規定だけが違憲である旨主張しているものではなく、最低生活費に満たない控除しか認めないで所得税を徴収する結果をもたらすところの所得税法等の諸規定が一括して違憲無効である旨主張しているのである。

(4) 仮に、本件所得税徴収の根拠となつている諸規定が合憲であるとしても右諸条項を原告らに適用して所得税を徴収した行為は次のとおり明らかに憲法に違反する。

(ア) 原告ら家庭の昭和四六年中の一年間の家計の月別平均収支は別表一のとおりである。

(イ) 原告らは夫婦共働き家庭で幼児一人がいるので総評理論生計費(昭和四八年八月基準の生計費、以下「総評新理論生計費」という。)のうち二人世帯(夫婦)を基にして、これに職業費を有業人員二名とする修正及び子供分費用の加算を行い、これを各費目毎に東京都区部中分類消費者物価指数を用いて昭和四六年におきなおすと別表二となる(以下これを「総評新理論生計費修正額」という。)。

(ウ) 総評新理論生計費修正額と原告らの家計とを費目調整のうえ対比すると別表三のとおりで、これによると消費支出合計額はほとんど差はないが、このことから直ちに原告らの家計において生活に必要なすべてが充足されているものとはいえない。すなわち、その理由は総評新理論生計費修正額においては住宅費及び光熱水道費が二人世帯を基準とする額で子供分を見込んでいないこと、子供経費のうち教養費が内輪に見積られていること、原告らの家計費においては共働きに伴う必要経費として光熱水道費(子供の保育を妹に依頼するため部屋を提供しているのでその分の光熱水道費を原告らが負担している。)及び交際費(家としての交際費には該家族で共働きを維持するための血縁、地縁のネツト化の経費が含まれる。)の負担増があるため、被服費に見られるように支出が切り詰められている。

(エ) そこで共働きによる特殊性を消去するため原告池畑ふ志のが就業しない場合を想定して総評新理論生計費修正額を修正すると別表四のとおりとなるが、この場合の消費支出合計月額一二万二三七四円は原告池畑忠男の月額可処分所得(月額収入から税金及び社会保障費を控除した残額)一〇万八二二八円を超過してしまうので共働きに依拠せざるを得ないことになる。

(オ) 以上のとおり原告らの家計は収入に規定されるため結局食料費、被服費、保健衛生費、教養娯楽費、及び職業費などが切り詰められ、労働力の再生産は極めて萎縮したものとならざるを得ない水準にあるから、原告に対する課税が最低生活費に食いこんでいることは一見明白である。

従つて、仮に本件所得税徴収の各根拠法案が合憲であつたとしても右諸条項を原告らに適用して所得税を徴収した行為は明らかに違憲無効といわねばならない。

4  よつて、原告らは被告に対し、不当利得返還請求権に基づき原告池畑忠男は金八万〇一〇〇円の、同池畑ふ志のは金七万二〇〇〇円の各支払を求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1及び2は認める。

2  同3及び4は争う。

三  被告の反論

憲法は国家の基本法として国家機関の組織活動の目標範囲を総括的に示すにとどまり、その具体化は立法府の広範囲な裁量に委ねられているところ、これを租税の分野についてみると憲法は国民の納税の義務及び租税法律主義を定めるのみで、その具体的内容はあげて立法府の裁量に委ねられているのである。特に今日の財政政策は、国の経済政策、社会政策の一環として経済の安定成長や富の再分配等の機能を担うべきものとされているため、租税体系は、景気の動向、経済の構造、国民所得分配の状況、国民生活の状況及び産業政策等の多数の不確定要素を総合考量してはじめて樹立し得るものであるから租税体系をどのように定めるかは立法府の合目的々な裁量に委ねられているものというべく、その判断は当不当の問題として政治的問題となることはあつても直ちに違憲の問題を生ずることはない。

このような観点からすると原告らの主張は結局源泉徴収制度を廃止し、諸控除額を引き上げ、生計費を必要経費として認めるべきであるというに帰し、ひつきよう立法政策の当否をいうにすぎないのである。そこで原告ら指摘の各制度につきその合憲性を次のとおり主張する。

1  源泉徴収制度の合憲性

(一) 憲法第一四条違反の主張について

(1) 給与所得に係る源泉徴収制度においては、源泉徴収の対象となるべき給与の支払がなされるときは支払者(源泉徴収義務者)はその都度法令の定めるところに従い所得税を徴収して国に納付する義務を負うところ、右納税義務は給与支払の時に成立し、特別の手続を要しないで納付すべき税額が確定する(国税通則法第一五条第二項第二号及び同条第三項)。従つて、源泉徴収義務者の納税義務の論理的前提をなす受給者(源泉納税義務者)の納税義務についても給与支払時に特別の手続を要することなく成立し確定することが当然の前提として予定されていると解すべきである。このようにして給与支払の都度徴収された所得税額については、年末調整として、その年の最後の給与支払の際、その年中の給与の支払総額に対する所定の年税額と既に源泉徴収された所得税額の合計額とを対比し、その間の過不足を清算して、納付すべき税額の適正化が図られるのである(所得税法第一九〇条)。一方年末調整が予定されていない場合、例えば従たる給与所得のある場合や給与所得者が給与以外の所得を有している場合及び年末調整の際控除されない医療費控除又は雑損控除等がある場合には更に別途確定申告が認められており適正な税負担が図られているのである。

(2) ところで租税は最も合理的かつ能率的な方法によつて徴収されるべきものであるから、同じ所得税のうちにあつても所得の種類やその態様等に応じてそれぞれにふさわしい納税義務の成立、確定の時期、徴収の方法及び納付の時期等が定められるべきものであり、これらの区別は憲法も当然容認しているところである。これを給与に係る源泉徴収制度についてみると、納税者にとつては納税が給与支払の都度分割して行われるので納付が容易であること、大多数の給与所得者については年間の所得税額が年末調整の制度によつて適正に清算される結果繁雑な確定申告手続から解放されること等の利点を有し、一方税徴収者にとつては徴税費の節減、国の歳入の平準化を図ることができるなどの利点があるところ、給与支払者の源泉徴収義務については、支払者が受給者と密接な関係があるところから右義務が公共の福祉の見地から容認される(最高裁昭和三七年二月二八日大法廷判決刑集一六巻二号二一二頁)のであるから給与所得者に係る源泉徴収制度は合理的というべきで憲法第一四条第一項に違反するものではない。

(3) 原告らは源泉徴収制度は給与所得者から確定申告権を奪い給与所得者を単なる課税客体として取り扱うもので税に対する主体的権利を奪つていると主張するが、給与所得者に対する源泉徴収制度は前記のとおり合理的理由に基づくものであるうえ、年末調整により適正な年税額に清算されるものであるから他に特段の事情のない限り確定申告による年税額と年末調整による年税額とに差異を生じないことになり確定申告の必要が生じないのである。そして税に対する主体的権利なるものは確定申告を行うことによつてのみ実現できるものではないし、又確定申告をしたからといつてはじめて右権利を有することになるものでもない。なお、源泉徴収制度においても所得税法第二三一条及び第二二六条は給与又は退職手当支払の際及びその年の支払の確定後支払明細書及び源泉徴収票を受給者に交付する旨規定し、税に対する知る権利に対する配慮がされている。

(4) 更に原告らは給与所得者には不服申立制度の適用がないから著しく不公平であると主張するが、給与の支払者が法令の定めるところに従つてその給与支払の際所得税を徴収し、これを国に納付する行為は給与の受給者との間においてもともと課税処分ではなく、この段階においては何ら行政行為は存在しないのであるから国税に関する法律に基づく処分その他公権力の行使に当たる行為の存在を前提とする不服申立制度の適用がないのは当然である。また仮に給与の支払者に対し源泉徴収による所得税についての納税の告知がされ、支払者においてこれに対する不服申立をせず、また不服申立をしてそれが排斥されたとしても受給者の源泉徴収による所得税の納税義務の存否、範囲にはいかなる影響も及ぼさず、従つて受給者は源泉徴収による所得税を徴収され又は期限後に納付した支払者からその税額に相当する金額の支払を請求されたときは自己において納税義務を負わないこと又はその義務の範囲を争つて支払者の請求の全部又は一部を拒むことができると解されており、しかも支払者が右の徴収又は納付の時以後において受給者に支払うべき金額から右税額相当額を控除したときは、その全部又は一部につき納税義務のないことを主張する受給者は支払者において法律上許容され得ない控除をなし、その残余のみを支払つたのは賃金債務の一部不履行であるとして、当該控除額に相当する賃金債務の履行を請求することができるのである(最高裁昭和四五年一二月二四日第一小法廷判決民集二四巻一三号二二四三頁)。

このように給与所得者は支払者との間においてその納税義務の存否、範囲を主張して自己の不利益を是正できるのであるから不服申立制度の適用がないとしても無権利状態におかれているものとはいえない。

更に源泉徴収方式によつて納付された所得税額と本来負担すべき税額とが一致しない給与所得者の場合には確定申告の方法をとることが認められており、この場合には異議申立及び審査請求等の不服申立が可能であるから、いずれの場合にも給与所得者の権利保護に欠けるところがなく、原告らの主張は失当である。

(二) 憲法第二五条、第三一条及び第八四条の主張について

原告らは源泉徴収制度が憲法第一四条第一項に違反する不合理な制度であることを前提とし、国税通則法及び所得税法の関係諸条項を憲法第三一条及び第八四条に違反するというが、源泉徴収制度は既に述べたように合理的制度であるから原告らの主張はその前提を欠くもので失当であるし、また、原告らの憲法第二五条違反の主張もまた、その理由がない。

2  給与所得に対する生計費課税に関する主張について

原告らは、給与所得者らの生計費は必要経費に当たると主張するが、右主張は以下述べるとおり失当である。すなわち、所得税法は、所得を同一の性格を有する所得ごとに利子所得、配当所得、不動産所得、事業所得、給与所得、退職所得、山林所得、譲渡所得、一時所得及び雑所得の一〇種類の所得に分類し、それぞれの所得の内容に応じて、利子所得については必要経費の控除を認めず、給与所得、退職所得については法定の特別控除額を控除することとし、その他の所得については必要経費の控除を認めている。その理由は、現行所得税法があらゆる源泉からの所得を課税対象とする場合に、その各所得の担税力に応じて適正な負担を課することの配慮と、複雑多岐にわたる社会経済の事象に即応して公正な課税を行う合理的必要から、所得の性質の異なるものごとに各種各様の課税上の取扱いを設けたものであつて、同法第二八条に定める給与所得の算定の方法が他の所得の算定の方法と異なるのも、かかる租税立法政策上の配慮に出たものにほかならない。

ところで給与所得は、非独立的労働の提供による所得であつて、勤務に要する費用を直接的に自ら負担することはないから、収入を得るために直接必要な明白な経費を要するとは認められない。また、たとえ職務に関連して支出をするような場合があつても、それは、個人の趣味嗜好を反映して支出の形態、金額を異にし、その収入との関連が稀薄な、所得の処分ないしは生計費と区分し難い、いわゆる家事費的性格のものが多いのである。従つて、給与所得には、事業所得等でいうその収入を得るために直接要した費用あるいはその業務につき生じた費用というような意味での必要経費の存在は考え難いのである。

現行法上給与所得について認められる給与所得控除には、勤労に伴う必要経費の概算控除の趣旨も含まれているといわれるが、給与所得の性格からすると、このような画一的、概算的な控除の制度をとるのにも、それ相応の合理的根拠があるというべきである。

原告らは、給与所得者の生計費は必要経費に当たる旨主張するけれども、必要経費とは収入を得るために投下された費用、換言すればその支出の増加が収入の増加に結びつくような費用を意味するところ、生計費の支出はその増加が直ちに収入の増加をもたらす性質を有しない。

なるほどひとり給与所得者のみならずおよそ自然人にとつて身体の維持(精神的、肉体的)のための活動は絶対的に必要であることは論をまたないところ、これは人間の経済的活動以前の本質的なものであつて職業や地位などに直接的な関係を有するものではないので、その生活過程が結果として労働力の再生産過程と関係があるからといつてこれに要する費用を控除しなければならないものではない。かかる生計費は収入増加と結びつかない所得の処分又は所得の消費という性格を有するにすぎない。従つて、このような性格をもつ生計費を事業所得者等の必要経費と対比し、生計費を必要経費として控除しないことをもつて憲法第一四条第一項に違反する旨の原告らの主張は失当であり、従つて、同法第三〇条、第八四条違反の主張もその理由がない。

3  給与所得者に対する最低生活費課税に関する主張について

(一) 憲法第二五条は国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るよう国政を運営すべきことを国の責務として宣言したにとどまり、直接個々の国民に対して具体的権利を付与したものではない。また健康で文化的な最低限度の生活とは抽象的な相対的概念であり、その具体的内容は文化の発達、国民経済の進展に伴つて向上するのはもとより多数の不確定要素を総合考量してはじめて決定できるものであるから、その認定判断は立法府の合目的的な裁量に委ねられておりその判断が政治的問題となることはあつても直ちに違憲の問題を生ずるものではない。

更に憲法第二五条の趣旨は一義的にある施策単独で健康で文化的な最低限度の生活を保障するに足りるものでなければならないことを要請しているものとは到低解し難い。従つて、租税体系のみ(しかもそのうちの所得税のみ)をとらえてそれのみによつて健康で文化的な最低限度の生活という絶対的な水準を確保しなければならないものではなく、国及び地方公共団体等のすべての施策を通じて総合的に健康で文化的な最低限度の生活が保障されていれば足りると解される。

(二) 現行所得税法においては各種所得金額を総合した総所得金額、山林所得金額及び退職所得金額から各種所得控除額を控除した残額について税率を適用して所得税額を算定するものと定めている。従つて、所与の所得金額に対する所得税の負担は各種控除と税率とによつて決定されることになる。このような各種控除は税額を算定するための過程における控除項目であると同時に課税最低限の水準をも示すものであるから、給与所得者の課税最低限は通常基礎控除、配偶者控除及び扶養控除の人的控除と社会保険料控除及び給与所得控除の各金額の合計によつて示されるのが通常である。これは所得税の課税がどの程度の所得階層から行われるかという水準を示すのに最も明瞭であるからである。

しかして、所得税の課税最低限はどの程度の所得階層から所得税の負担を求めるかという限界を画するもので、公経済への資源の配分や所得と富の再分配の機能をも有する所得税の負担を求めるべき納税者の選定基準となるものであり、あわせて徴税費節減の機能や税率の累進度をなだらかにし家族構成等に応じて税負担を調整するという意味で税率を補完する機能をも有するのである。所得税の各種控除は、課税最低限の水準を示すものであると同時に、これを超える所得を有する者については、税率とともに所得税額算定のための手段にすぎないのであつて、必要経費や非課税所得のように本来課税の対象外におかなければならない筋合いのものではなく、税率との関連において弾力的に定められるべきものである。また、課税最低限を定める方法は、所得控除による方式が唯一のものではなく、税額控除とする方式、消失控除の方式、免税点の方式あるいはその併用等の方式があるのであつて、そのいずれを採るかは、立法政策の問題である。従つて、かかる機能を有する課税最低限を定めるにあたつては生計費の動向の角度からの検討のほか、所得税の機能及び性格の観点からの検討や税務行政運営の実際面への配慮をも行う必要があるから、結局その決定にあたつては一方においてその時々の国の財政需要を勘案しつつ、他方において国民所得ないしは国民生活の水準、所得格差ないし所得階層の分布状況などの国民経済の全体に配慮しながら租税体系、所得税収入に期待される程度、国民の納税意識のレベル、歴史的社会的条件下における一般の最低生活費についての考え方、税務機構の行政能力等を考慮し、これら相互の関連において立法上の裁量判断によつて決定されるべきものであり、何らかの統計に基づいて一義的に決定されるものではない。

(三) 総評理論生計費の問題性

原告らは総評理論生計費をもつて憲法第二五条に保障する最低限度の生活を維持するための最低生活費の基準たるべきものとしているが、右理論生計費には次のような問題点が存し、到底右基準たり得るものではない。

(1) 理論生計費は生活の規模等を基準として標準的な生活模型を設定し、そこにおいて想定された「あるべき消費生活」を前提としたうえで「典型的に描き得る費目」を選定し、それを積み上げて計算したものであるが、右費目のうち社会的、文化的欲求を充足するような費目については客観的基準が見出し難いうえに、食糧費における栄養学的基準のように一応基準があるものについてもなおいかなる食物によつて栄養学的基準を充足するかにより算出金額に差異を生ずるため主観的恣意的にならざるを得ないのである。このことは例えば全商社労働組合の算出した理論生計費が総評のそれの約一・六倍、日本郵船労働組合のそれの約二倍というように非常に大きな差があることからも明らかである。

(2) 総評新理論生計費の費目算定基準の不合理性

総評新理論生計費では耐久消費財のうち単身世帯においてはテレビ、洗濯機、扇風機、ステレオ及びベツドをいずれも採用しているが、これらは東京在住の単身者においては昭和五〇年度においても普及率五〇パーセント以下であり、また四人世帯においてはルームクーラー及びピアノを採用しているがこれらの普及率は右年度においても一〇パーセント前後にすぎないものであるうえ、右各世帯において右品目をすべて備えた普及率は一層低率であるものと推測される。

次に教養娯楽費のうち旅行関係についてみると右新理論生計費では単身世帯については三泊四日の旅行を年三回、日帰り程度のハイキングを年四回採用し、四人世帯については釣り年四回、日帰りハイキング年二回、家族で三泊四日のスキー、夏一週間の高原又は海への旅行各年一回を採用しているが、これらはいずれも現実の国民生活の内容を大幅に上回るものである。このような生活水準を満たすためには一世帯あたり月額四五万六〇〇〇円、年額五四七万二〇〇〇円の収入を要することとなり、この結果給与所得者の圧倒的多数の者は最低限度以下の生活水準にあることになる。

(3) 以上のように総評新理論生計費はもともと賃金引き上げ要求の資料とする意図で作成されたもので、しかも将来の望ましい生活水準を示したものにほかならず、現実の生活実態を踏まえて設定されるべき憲法第二五条の最低生活費の基準とは到底なり得ないものであるから、これを前提とする原告らの主張は失当である。

(四) 原告らの適用違憲の主張について

原告らは総評新理論生計費を修正した額をもつて原告らの最低生活費であると主張するが、総評新理論生計費が基準となり得ないことは前述のとおりであるし、又原告らは昭和四六年中に給与収入二七一万六六一六円を得ていたものであるが、右収入を総理府統計局の家計調査年報でみると同調査対象のうち九三・一パーセントは原告らより収入が少なく、その消費支出は勤労者全世帯平均支出の一・八六倍にも達しているのであるから、原告らから一五万二一〇〇円程度の所得税の負担を求めても何ら違憲の問題を生じない。

4  不当利得の成立について

(一) 原告らの本訴請求は納付された国税に関する不当利得返還請求であるが、納付された国税に関する不当利得の請求については国税通則法上過誤納金に関する規定があり(同法第五六条第一項)、右規定は民法の不当利得に関する規定の特則を定めたものと解される。

ところで源泉徴収の法律関係においては給与の支払者である源泉徴収義務者のみが国と直接の法律関係にたつものと構成されているため源泉徴収による所得税の過誤納についての還付請求権者も源泉徴収義務者だけであり、従つて、納付した源泉徴収に係る所得税に関しこれを公法上の不当利得として国に対し返還請求を求めるには、源泉徴収義務者が過誤納金返還請求としてのみなし得るだけで受給者が直接返還請求することはできない。

(二) 仮に原告らが主張するように源泉徴収による納税義務が不存在だとすれば、原告らは給与の支払者に対し所得税額に相当する賃金債務の履行を請求することができるのであるから原告らに損失はない。

(三) 仮に源泉徴収制度が違憲無効であるとすれば、原告らは所得税の確定申告をなすべき義務を負い(所得税法第一二〇条、一二一条)、本件においてはその期限が到来しており、税額については年末調整による年税額と確定申告によるそれとでは負担を異にする訳ではないから原告らに何らの損失はない。

四  被告の反論に対する再反論

(一)  課税最低限と立法府の裁量

被告は何が健康的で文化的な生活であるかの認定判断は立法府の裁量によるから違憲の問題を生じないという。

しかし、立法府の裁量権は無原則ではなく憲法の定める基本的人権の尊重等の根本原則の制約に服するのである。これを憲法第二五条についてみると、同条は健康で文化的な最低限度の生活を保障すべき義務を国に課しているが、この義務は国に対し右義務を実現すべき法令を制定すべきことを要求するのみならず、租税法を含むすべての法令が右条項の精神に合致すべきことを要求するもので、国民が自ら行つている健康で文化的な最低限度の生活を法律その他の国家行為が阻害する場合にはこれらは憲法第二五条に違反し無効となるのである。これは社会権の自由権的側面よりする要請であるからこの側面に関する限り立法府の裁量の余地はほとんどなく、課税最低限をいかに定めるかは立法府の裁量によるものではないといわねばならない。

(二)  不当利得の成立について

(1) 被告は源泉徴収にかかる所得税の返還請求は源泉徴収義務者のみがなし得る旨主張するが、右主張はすべて現行の源泉徴収制度を有効としたうえでその制度を利用すべきだとの主張に帰し、右制度そのものが違憲無効な本件においては右主張は失当である。

(2) 被告は仮に源泉徴収制度が違憲無効だとしても原告らは確定申告により収納された税額と同一の所得税を負担すべきことになるから損失はないというが、源泉徴収制度が違憲無効であるなら原告らの給与所得につき未だ租税債務確定手続がなされていないのであるから、原告らは所得税を納付すべき義務はなく、右被告主張は失当である。

第三証拠〈省略〉

理由

第一  請求の原因1及び2の各事実は当事者間に争いがない。

第二  以下原告らの憲法違反の主張につき判断する。

一  源泉徴収制度について

原告らは給与所得者に対する源泉徴収制度につき、右制度は事業所得者等に認められる確定申告制度に比し、所得金額及び税額の自由申告権並びに不服申立権を認めないなどの点において給与所得者を不当に差別すると主張するので、先ずこの点につき判断する。

1  憲法第三〇条は、「国民は法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。」ことを宣言し、同法第八四条は、「あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。」と定めている。これらの規定は課税要件すなわち納税義務者、課税物件、課税標準及び税率等を定めるにつき法律によることを必要としただけでなく、租税の賦課徴収の手続をも法律によることを必要としたものと解されるところ、租税徴収の手続については租税が国の存立の経済的基礎をなし、財政需要の充足を目的とする高度の公益性を有するところから、その徴収は確実かつ能率的でなければならない。このような観点からすると租税の徴収は納税義務者から直接納入させることが通常右要請にそうところからこれが原則とされるのであるが、税によつては納税義務者と一定の関係にある者に租税徴収の義務を課し、納付させることが徴収の確保に資すると同時に徴収事務の能率化簡素化に役立つ場合が存するのである。

これを給与所得者に対する源泉徴収制度についてみると、給与所得者である納税者数は極めて膨大(成立に争いのない甲第八号証によると昭和四六年の給与所得者である納税者数見込は二六六四万人にのぼる。因みに、同年の農業所得者、農業以外の事業所得者及びその他所得者のうちの納税者数見込は合計四二五万人である。)で、しかも給与所得発生の環境も千差万別であることは周知のところであるから、このような特性を有する給与所得者に対して源泉徴収制度を採用し、給与の支払内容を熟知している支払者に源泉徴収義務を課すことにより、国は所得の正確な把握と徴収の確保及び徴税費の大幅な節減を図ることが可能となるし(徴税費の増加は、けつきよく納税者の負担の増加につながるものである。)、あわせて給与支払の都度徴収された所得税は原則としてその翌月の一〇日までに国に納付されることから歳入の平準化が図られるなどの長所を有するところ、他方給与所得者にとつてもその多くは年末調整の制度により申告及び納付等の繁雑な手続から解放されるし、また給与支払の都度その給与額に応じて天引徴収されるため、一時に多額の納税資金を手当することが不要となり納税が容易となるなどの利点が存するのである。

従つて、以上のような諸点を考慮すると源泉徴収制度は給与所得者に対する所得税の徴収方法として能率的かつ合理的な制度ということができる。

2  次に確定申告権及び不服申立権が認められないがために事業所得者等に比して不利益に取扱われている旨の主張について、以下源泉徴収制度の仕組みに照らしながら検討する。

先ず源泉徴収の法律関係についてみるに、源泉徴収の対象となるべき給与の支払がなされるときは支払者は法令の定めるところに従つて所得税を徴収して国に納付する義務、すなわち源泉徴収義務を負う(所得税法第一八三条第一項、なお、以下特に断わらない限り、昭和四七年法律第三一号による改正前の所得税法をいう。)ものであるが、この源泉徴収義務は右給与支払の時成立し、その成立と同時に特別の手続を要しないで税額が自動的に確定するものとされている(国税通則法第一五条第二、三項)。そしてこれに対応して給与の受給者の源泉徴収を受忍すべき義務すなわち源泉納税義務も右国税通則法第一五条第二項の趣旨に照らすと源泉徴収義務の成立と同時に成立しかつ確定するものと解するのが相当である。

ところで、給与所得の金額は、その年中の給与等の収入金額から給与所得控除額を控除した残額とされているから(所得税法第二八条第二項)、暦年終了時にならなければ確定しないものであることは明らかである。従つて、源泉徴収の場合には、受給者の負う本来の所得税納税義務(所得税法第五条第一項に基づく義務であつて、源泉徴収を受忍することによつて所得税を納税する義務である所得税納税義務とは異なる。)が成立する以前、それ故に数額等の内容が確定する以前において、源泉徴収されることとなること自体は否定できない。しかしながら、給与所得税の徴収方法としての源泉徴収制度が合理的なものとして肯認されることは前記のとおりであり、右制度において定められている支払者の源泉徴収義務及び受給者の源泉納税義務が所得の支払の都度成立し、特別の手続を要しないで納付すべき税額が確定するとされていると解すべき以上、暦年終了前に源泉徴収がされてもなんら違法の点はない。

次に源泉徴収実施の概略についてみると、支払者はあらかじめ受給者から提出された扶養控除等申告書等に照らしながら所定の源泉徴収税額表を適用して税額を算出(所得税法第一八五条ないし第一八八条)し、これを支払の都度給与から徴収して翌月の一〇日までに国に納付する。そしてこのようにして徴収された所得税の合計額はいわゆる年末調整の制度により暦年最後の給与の支払時にその年中の支払うべきことが確定した給与の支払総額と対比され、過不足が清算調整されることとされている(所得税法第一九〇条ないし第一九二条)。一方、給与所得者が一定額以上の給与以外の所得を有する場合や雑損控除又は医療費控除等に該当する場合には年末調整が困難であるため別途確定申告を要するものとされている。

以上に照らして原告ら主張をみると、確定申告権についてはそれが暦年終了時において成立した所得税の納税義務につき、その年分の所得金額及び税額を自ら確定する手続であることを考えると、前記の確定申告を要しない給与所得者については年末調整により年税額が確定され徴収済みの源泉所得税額と清算されるのであるから更に確定申告する必要は存しないものといわねばならない。

原告らは申告納税制度はその手続を履践することに意義があり、これを通して税に対する関心を高める民主的制度であるから給与所得者を右制度から除外することは許されないという。

なるほど右制度が税に対する自覚を高める機能を有することは原告ら主張のとおりであり、源泉徴収制度がともすれば納税者意識を稀薄ならしめる恐れがあることは否定し得ないところであるが、右制度においても支払明細書(所得税法第二三一条)及び源泉徴収票(同法第二二六条)を徴収の都度あるいは当該年度の翌年の一月三一日までに交付して源泉徴収税額を明らかにし税負担を認識し得るように配慮されているのである。もとより納税義務がこれを負担する者の自主申告によつて履行される制度は民主的な租税の観念にも合致し、望ましいことではあるが、租税徴収の具体的方策に関しては右観点のみから決することはできず、合目的的かつ技術的観点からの考慮も無視できないところであるし、もともと国民の税に対する関心はその主体的姿勢の如何によるものであり、その方法も多種多様であるから申告納税制度を採用しない(その理由は前記1に述べた合理的理由による。)場合があるからといつて直ちに税に対する関心を阻害するものとは到底いえないから、この点に関する原告ら主張は失当である。

次に不服申立権についてみると、前述したように給与所得者の源泉納税義務は源泉徴収義務者の徴収を受忍すべき義務であり、自ら所得税納入の義務を負うものではないし、徴収を受忍すべき税額も何らの手続を要することなく自動的に確定するのであるから源泉納税義務者である給与所得者にとつて納税義務の存否及び範囲を確定するための行政処分とみるべき行為は存しないものといわねばならない。そうすると原告ら主張の異議申立及び審査請求並びにこれらに続く訴えの提起等による不服申立権なるものは、現行制度上いずれも行政処分の存在を前提とし、これに対する救済を求める制度として構成されているのであるから、このような行政処分を欠く源泉納税義務者の場合に不服申立の方法がないのは、制度上やむを得ないところであり、右主張は前提を欠くもので失当といわねばならない。これを実質的側面からみても、右にみたような源泉徴収義務者と源泉納税義務者との関係は私法上の債権債務関係と解すべきであるから、源泉納税義務者が給与から所得税として過大に徴収された場合には適正額との差額を賃金債権の債務不履行として源泉徴収義務者に請求することができるし、逆に源泉徴収義務者からの過大な求債(所得税法第二二二条参照)に対しても源泉納税義務の存否又は範囲を争つてその請求を拒むことができるのである。また国との関係についていえば、源泉納税義務者は違法な源泉徴収により過大な税額を納付せしめられたとして、国に対しその不当利得返還の訴えを提起し得るものと解する余地があるし、仮にそのように解することができないとしても、右のような救済手段があるかぎり、違憲とまで解する必要はない。さらに仮に年末調整に至るまでの間の源泉徴収において過大徴収の誤りがあつたとしてもかかる誤りは年末調整において是正されることになるわけであるから、以上いずれの面からみても不服申立権が認められていないことにより不利益を受けるものとはいえず、不利益的取扱いを受けているということはできない。

3  原告らは事業所得者等に比し早期納税を強いられると主張する。

確かに毎月給与の支払を受ける通常の給与所得者の場合には支払の都度所得税を徴収されるのに比し、事業所得者等の申告納税者の場合には原則として当該年度の翌年の三月一五日が法定納期限とされているため給与所得者の方が早期に納税していることになるが、右申告納税者のうち当該年度の六月三〇日の現況における居住者であつて予定納税基準額(原則として当該年度の五月一五日に確定している前年分の課税総所得金額に対する所得税額から前年分の所得に対する源泉徴収税額を控除した金額)が一定の額(昭和四六年当時は二万円)以上の者はその各三分の一に相当する金額を七月一日から同月三一日までの期間及び一一月一日から同月三〇日までの期間にあらかじめ納付しなければならないとする予定納税の制度(所得税法第一〇四条以下)があるから、早期納税による金利上の不利益は申告納税者の場合に比してさ程大きいものとはいえないし、これに給与所得者のみに認められている給与所得控除の制度が存することを勘案すると申告納税者に比し著しい不利益を受けているものとは到底いえないので原告らの主張は失当である。

4  以上のように給与所得者に対する源泉徴収制度は給与所得の性格及び態様に適合した合理的な徴収方法というべきであり、これによつて生ずる不利益は合理的限度を超えているものとはいえず、従つて、給与所得者を事業所得者に比して不当に不利益に取り扱つているものということはできないので、右制度を定める国税通則法及び所得税法の諸規定が憲法第一四条に違反するということはできない。

5  そうすると憲法第一四条に違反する不合理な制度であることを前提として同法第三一条及び第八四条に違反するとの原告らの主張は前提を欠くものであり失当である。

また、同法第二五条違反の主張については、これを基礎づける具体的主張がないのみならず、前記認定に係る源泉徴収制度の意義及び内容に照らせば、右制度が同条に違反するとは到底認められず、原告らの主張は採用できない。

二  給与所得者に対する生計費課税の主張について

原告らは給与所得者にとつての生計費とは労働力の再生産費用であるから右費用は給与収入を得るための必要経費に当たるというべきであり、右生計費を実額により控除すべきであるのに、これを認めず、単に給与所得控除制度を設けているに過ぎないのは、事業所得者等に実額による必要経費の控除が認められているのと対比し、不当な差別であつて、憲法第一四条に違反すると主張する。

1  所得税は各人の担税力に応じた公平な税負担を実現し得るとともに各人の経済活動を阻害しない点においてすぐれて近代的な租税とされているところであるが、その所以は、所得税がその課税対象を純所得すなわち収入金額からその獲得のために要した投下資本部分を必要経費として控除した後の金額として構成することによつている。そして右純所得の算出に当たり、現実にある支出が必要経費として控除されるか否かは右理念に照らしつつ税務行政の統一的運営や、ひいては納税者の公平な税負担の実現等の考慮をも要するため、結局は具体的な実定法の内容により確定されるものと解すべきである。そこで以下給与所得における必要経費の意義につき検討するに、所得税法は所得を発生原因により一〇種類に分類し、このうち不動産所得(所得税法第二六条第二項)、事業所得(同法第二七条第二項)等については収入金額から必要経費を控除することにより所得金額を計算するものと定めているが、給与所得については給与等の収入金額から所定の給与所得控除額を控除した残額を給与所得金額と定める(同法第二八条第二項)のみで必要経費についての具体的規定はもうけていないのである。しかし成立に争いのない甲第五号証、第九号証並びに乙第六号証及び第二四、二五号証によれば、シヤウプ使節団の日本税制報告書を始めとし、その後の税制改革に大きな影響を与えて来た税制調査会の答申等において、給与所得控除制度が給与所得者の必要経費の概算控除としての性格をも有するものとして説明され、その説明にそつた答申に基づき給与所得控除額の拡大が立法により実現されている事実が認められるところ、これらの事実に給与所得の性格、発生の態様に徴して考えれば所得税法は給与所得についても理論上は必要経費が存在することを前提としているものということができる。

2  そこで給与所得の必要経費の意義について考える。所得税法は不動産所得、事業所得又は雑所得の計算上必要経費に算入すべき金額を、「総収入金額に係る売上原価その他当該総収入金額を得るため直接に要した費用の額及びその年における販売費、一般管理費その他これらの所得を生ずべき業務について生じた費用の額」と定める(所得税法第三七条第一項)とともに、「家事上の経費及びこれに関連する経費」を必要経費に算入しない(但し、家事関連費のうち、支出の主たる部分が業務の遂行上必要であり、かつ必要である部分を明確に区分できる場合にはその部分に限り必要経費に算入される。所得税法施行令第九六条)と定めている(所得税法第四五条第一項第一号)。給与所得の必要経費の意義についても前項に述べた必要経費概念の基本的性格に照らせば原則として右に準じて考えるのが相当であるが、必要経費の意義を確定するには当該所得発生の環境及び態様等も考慮すべきところ、これを給与所得についてみると、給与所得者は自己の危険と計算とによらないで使用者の指揮命令に服して労務を提供(いわゆる従属的労働)し、これに対する収入金額は使用者が決定するのが通例であるため給与所得者の収入と経費との関連性は間接的となり、その結びつきは事業所得等に比して不明瞭とならざるを得ず、加えて、右の従属的労働においては給与所得者は専ら労務を提供するのみで、業務に関する費用は使用者が提供するのが通例であるため給与所得者の負担する経費は家事関連的性格を併有することが多く区別が困難であるなどの特質を有する。

右諸点を考慮すると給与所得の必要経費を一義的に定義することは極めて困難な事柄であるが、少なくとも他の事業所得等の場合と同じく、給与等を得るため直接に要した費用及びこれらの所得を生ずべき職務について生じた費用と解するのが相当であり、かつ当該支出の職務との関連性が客観的に肯認され得ることを必要とするものと解するのが相当である。なお、家事関連費については事業所得の場合と同じく、そのうち、支出の主たる部分が職務の遂行上必要であり、かつ、必要である部分を明確に区分できる場合に限り必要経費に算入することが許されると解すべきである。

3  給与所得の必要経費の意義を右のように解した場合、いかなる支出がこれに含まれるか。前述した給与所得に関する必要経費についての観点からすると、例えば、職務遂行のために必要な衣服、用具、備品等で給与所得者の負担とされているもの、職務上必要な旅費、交通費、通信費、宿泊費等で給与所得者の負担とされているようなものがあれば、必要経費に当たるということができようが、このような種類のものは、わが国における一般の慣行として、ほとんどは使用者が負担しこれを提供するのが常態であるから、この種の必要経費が認められることは実際上あまりないことと思われる。ところで、原告らはこの点に関し給与所得者の生計費は労働力再生産費用であるから必要経費に当たると主張するが、原告らのいう生計費の中には右意義における必要経費が含まれているにしても、その中に家事費が含まれていることも明らかであり、これらを判然と区別することのできる的確な証拠はなく、まして生計費それ自体については、経済学上の観点からすれば、労働者の有する唯一の資本が労働力であり、生計費がその再生産費用に当たるとしても、税法上直ちにこれを給与所得についての必要経費と解しなければならないものではない。税法上の必要経費の概念は、前述したとおりであるが、給与所得者の生計費は、生存それ自体のために必要な費用であつて、ひとり給与所得者のみに必要な費用ではない。従つて給与等を得るため直接に要した費用又はこれらの所得を生ずべき職務について生じた費用とはいえず、前述したような意味での関連性も認められないから、生計費は、給与所得についての必要経費に当たると解することはできない。もし原告ら主張のように生計費が必要経費であると解すると、生計費の内容、金額は人により千差万別であるから、収入金額を生計費として費消しさえすれば必要経費となるため同一収入金額を得ている場合でも多く費消することにより税負担を免れるという不合理な結果を生ずるし、又給与所得者の生計費のみを必要経費とすると、逆に事業所得者のうち特に勤労性の強い農業所得者あるいは零細事業所得者を不利益に取り扱う結果になるなどの不合理を生ずるものであるから右主張は到底採用できない。前掲乙第六号証及び証人谷山治雄こと三浦誠の証言により、諸外国においても給与所得者の生計費それ自体を必要経費として取り扱う立法例はないことが認められ、このことも右に述べたところを裏づけるものというべきである。この点に関する憲法違反の主張は失当である。

4  次に前1項掲記の各証拠及び成立に争いのない甲第四号証並びに証人有馬憲幸の証言によれば、次の事実が認められこれを左右するに足る証拠はない。

給与所得控除の制度は、大正二年に創設された勤労控除の制度に由来するもので、専ら給与所得が資産所得ないしは資産勤労共働所得に比し担税力が弱い点を調整するための立法上の措置として説明されてきたところ、昭和二四年のシヤウプ勧告が右制度の趣旨を、〈1〉勤労控除は個人の勤労年数の消耗に対する一種の減価償却の承認であること、〈2〉勤労控除は勤労による努力及び余暇の犠牲に対する表彰であること、〈3〉勤労に伴う経費に対し行政上の理由から特別な控除を認めることは、それが多くの場合普通の生活費とほとんど区別がつかないから不可能であるため、勤労控除は余分にかかる経費に対する概算的な控除であること、及び〈4〉給与所得はその他の所得に比して相対的により正確な税法の適用を受けるのであるが、それを相殺する作用を有することの四点にあつたとし、そのうち〈3〉の理由の合理性を認めて右制度の存置を主張して以来、その後の税制調査会の審議においても給与所得控除制度の趣旨及び内容につき従来からの担税力の弱さに対する調整との説明に加えて右の〈3〉及び〈4〉の説明が採用されたほか給与所得者がその他の申告所得者に比して平均五個月程度早期に所得税を納付しているのでこの間の金利差の調整を図る必要がある旨の説明が加えられ、以上の四つの要素を併有するものとされた。そして以上の四要素を計数的に明瞭に区分することはできないが、このうち担税力の弱さに対する調整分と必要経費の概算控除分が主たる要素でその他の要素は付随的なものにすぎない旨の審議説明がされ、かかる審議を踏まえて数次にわたる給与所得控除額の増額改正が立法府において行われた。

右認定の事実によれば給与所得控除の趣旨は、〈1〉勤務に伴う必要経費の概算的な控除であること、〈2〉給与所得は有期的でかつ不安定な人間の労働力に依拠するため利子配当所得又は事業所得に比し担税力に乏しいからこれを調整するためのものであること、〈3〉給与所得は給与支払の際源泉徴収が行われるため他の所得に比し正確に把握されやすいからこれを相殺するためのいわば把握控除であること、〈4〉給与所得については給与支払の都度所得税が源泉徴収される結果申告納税の場合に比し平均して約五個月程度早期に納税することになるからこの間の金利差を調整する必要があることの以上四つであり、これら相互の関係は計数的に明確ではないが右〈3〉の把握控除は本来給与所得の把握自体に存する問題というより他の事業所得、農業所得に対する把握度を高めることにより解消すべきが筋であるし、〈4〉の金利差の調整の必要性は既に源泉徴収のところで述べたように予定納税制度の存在を考慮するとその額は僅少であるから、以上の点からみると右の〈1〉及び〈2〉が給与所得控除制度が設けられている根拠の主要部分を占めるものと解される。

次に以上の検討を前提とし昭和四六年度の給与所得控除額についてみるに、昭和四六年法律第一一三号によつて改正された所得税法第二八条第三項によると、定額控除部分は一三万円で定率控除部分は定額控除後の収入金額一〇〇万円以下の場合当該金額の一〇分の二、一〇〇万円を超え二〇〇万円以下の場合当該金額の一〇分の一、二〇〇万円を超え四〇〇万円以下の場合当該金額の一〇分の〇・五とし、給与所得控除の限度額は五三万円と定められていた(もつとも昭和四六年度に限つていえば、右法律第一一三号の附則第三条第一項により、同附則別表第四の附表が適用され、同表によると控除最低額は一二万二八〇〇円(給与等の額が一二万三八〇〇円未満の場合は全額)、最高限度額は五二万二五〇〇円であつて、この間が細かく区分されている。)ところ、これを給与収入金額に対する給与所得控除の割合についてみると、昭和四六年度に適用される右附表によれば、年間給与収入(以下同じ。)五〇万円に対し控除割合三九・六パーセント(控除金額一九万八〇〇〇円)、八〇万円に対し三二・三パーセント(二五万八〇〇〇円)、一〇〇万円に対し二九・八パーセント(二九万八〇〇〇円)、一五〇万円に対し二四・〇パーセント(三六万〇二五〇円)、二〇〇万円に対し二〇・五パーセント(四一万〇二五〇円)、三〇〇万円に対し一五・五パーセント(四六万六三七五円)、四〇〇万円に対し一二・九パーセント(五一万六三七五円)、五〇〇万円に対し一〇・五パーセント(五二万二五〇〇円)であり、これを原告らについてみると原告池畑忠男については一四八万一九四五円に対し約二四・三パーセント(三六万〇一九五円)、同池畑ふ志のについては一二三万四六七一円に対し約二七パーセント(三三万四三二一円)である(但し、原告らの年間給与収入額については当事者間に争いがない。)。一方前掲乙第六号証によると、総理府統計局の昭和四四年度家計調査結果に基づく「勤労者世帯の一世帯当たり品目別年間支出額表」によれば同表記載の品目(衣料品、身回品、理容・洗濯、文具、新聞・書籍、こずかい、つきあい費)の一世帯当たりの年間支出総合計額(右支出の中には世帯主以外の家族分が含まれており、従つて勤務との関連性も必要とされていない。)の年間収入金額に対する割合は最高で一一・九パーセント、最低で六・九パーセント、平均では一〇・七パーセントであることが認められる。

ところで給与所得における必要経費の意義については既に述べたように当該支出が職務と関連性を有しかつその支出の職務遂行上の必要性が客観的に肯認され得ることを要するところ、前述したように、通常職務関連費用は使用者が負担すること、所得税法は給与所得者の出張旅費、転任旅費(同法第九条第四号)、通勤手当の一定範囲内の金額(同条第五号)、現物給与のうち制服、食糧等でその職務の性質上欠くことのできないもの(同条第六号)等は非課税とされていること、前記認定のように総理府統計局の家計調査結果によれば家族分の支出を含めても年間収入金額に対する支出総合計金額の割合は年間収入金額に対する給与所得控除割合に比し、相当低い水準にあることなどの事情を勘案すると、一般的には給与所得に伴う必要経費はそれほど高額のものではなく、給与所得控除額によりまかなうことが通常可能と判断されるのである。

これを原告らについてみると、原告らの給与に伴う右意義における必要経費の具体的内容とその実額及びそれが右の給与所得控除額を上まわることの主張立証はない。

5  そうすると、所得税法が給与所得者に給与所得に伴う必要経費の実額による控除を認めないからといつて昭和四六年当時における給与所得控除制度による概算控除が控除額の点で不合理といえないばかりか、かえつて給与所得者にとつては何らの立証を要せず一律に所定の控除を受けられるし、税務執行上も給与所得者の納税者数が膨大なうえ必要経費の認定に困難が伴うことを考慮すると右概算控除により徴税費の節減や税務行政上の混乱を回避し得るなどの利点が存するのでこれを不合理な制度ということはできず、給与所得者を事業所得者等に比し不利益に取り扱つているということはできない。

よつて、右給与所得制度を定める諸条項が憲法第一四条に違反するとの原告ら主張は失当であり、また、右主張を前提とする同法第三〇条、第八四条違反の主張もまた、その理由がない。

三  給与所得者に対する最低生活費課税の主張について

原告らは昭和四六年度の原告らに対する所得税の負担は原告らの憲法第二五条に保障する健康で文化的な最低限度の生活を侵害すると主張するので、以下この点につき判断する。

1  憲法第二五条第一項は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と規定している。この規定はすべての国民に「人間たるに値する生活」を営むことができるように国政を運営すべきことが国家の責務であることを宣言したもので、一八、一九世紀における自由権的基本権から一歩を進めた国家の積極的関与による生存権的基本権を保障した重大な意義を有するものであるが、同時に国家は国民自らの手による健康で文化的な最低限度の生活を維持することを阻害してはならないのであつて、これを阻害する立法、処分等は憲法の右条項に違反し無効といわねばならない。

2  次に右の健康で文化的な最低限度の生活の意義について検討するに、右生活が人間の生物的生存を維持すれば足りるものでないことは明らかであるが、人間の文化的欲求はもちろんのこと右の生物的生存の維持についても時代の文化的、経済的水準と深く関連し、その発展の状態に応じて規定されるものであるから、要するに右生活とは不断に流動する社会の発展段階において人間としての尊厳をそこなうことなく生活し得る最低限度の生活水準を意味するものと解せられる。従つて、何が健康で文化的生活であるかは当該社会の文化的水準、生活様式、国民経済の動向及び国民の生活感情等の社会的諸条件を総合考慮してはじめて決し得るものであるから、ある特定時点における内容を算術的な正確さをもつて一義的に決定することはできない性質のものといわざるを得ない。

このような見地からすると、税負担を求める最下限を示す課税最低限を定めるにあたり、何が健康で文化的な最低限度の生活であるかを認定判断するについては、前記の社会的諸条件の把握並びにこれに対する適切な評価及び判断をなし得る機能と適格を備えた立法府の合目的々な裁量判断に委ねられているものとみるべきであつて、その認定判断の誤りは通常当不当の問題として立法府の政治的責任を生ずることはあつても直ちに違憲違法の問題を生じないものといわねばならず、ただ右課税最低限が現実の生活条件を無視したことが一見して明白な程に低額である場合には憲法第二五条の趣旨に違背するものとして違憲の問題を生ずると解するのが相当である。

3  そこで以上の観点に立ち、昭和四六年度における所得税負担と健康で文化的な最低限度の生活との関係につき検討する。

(一) 先ず課税最低限の意義についてみるに、一般に給与所得者の所得税負担は給与等の収入金額から基礎控除額、配遇者控除額及び扶養控除額のいわゆる人的控除額、給与所得控除額、社会保険料控除額の合算額を控除した残額に所定の税率を乗じて決まる。ところで、原告らは、給与所得控除は必要経費の概算控除の性格を有するから課税最低限に加えるべきではない旨主張するけれども、給与所得控除が必要経費の概算控除だけの性格を有するものではないこと、給与所得者の生計費は給与所得の必要経費を構成するものではなく、必要経費と一応考え得るものも、通常は使用者の負担とされ、現実に控除が問題となり得るものも、それ程の金額とはならないと考えられること、給与所得の必要経費は家事費と区別し難い面があり、使つて家計の面においても家事費と一体となつて支出項目に計上されているのが通常であると考えられること、原告らの昭和四六年中の給与所得について具体的に必要経費となる支出があると認めるべき証拠がないこと等に徴すれば、少なくとも原告らに対する右年度の課税処分の合憲性を判断するについては、給与所得控除額をも加えて課税最低限を考えるのが相当である。

(二) 次に本件係争年度の課税最低限が立法府においていかなる配慮のもとに決定されたかについてみるに、これを直接明らかにする証拠は存しないが、税制改正に大きな影響力を及ぼしている税制調査会での課税最低限をめぐる従来からの審議内容から立法の経緯を推測し得るものと考えられるので、以下税制調査会での審議内容及びその経緯をみることにする。

成立に争いのない甲第六ないし第一二号証、乙第六号証、第八号証、第二二号証、証人谷山治雄こと三浦誠及び同有馬憲幸の各証言によると、次の事実が認められる。すなわち(1)税制調査会の昭和三一年一二月の答申においては課税最低限の決定にあたり所得税の負担が最低生活費に食いこむことを避けるべきであるとしつつも、財政需要の確保の面にも重点が置かれたが、(2)その後昭和三五年一二月の答申においては最低生活費に所得税負担が食いこむべきではないとする観点から論議され、このためには課税最低限のあるべき最低線を吟味しておくことが必要であるとし、マーケツトバスケツト方式(食料費について)による最低生計費の算定、総理府の家計調査結果からの推定及び貯蓄開始時の平均年収の水準を検討し、課税最低限を決定した。右のマーケツトバスケツト方式による最低生計費の算定はその後数年間にわたり採用されたが、その概略は昭和三九年一二月の答申によれば、〈1〉都市の勤労世帯について総理府統計局の家計調査から世帯人員別にモデル世帯を選定し、各世帯の構成人員の年齢を明らかにする。〈2〉成人男子が健康を維持しつつ日々の活動を遂行していくのに必要な栄養(一日二五〇〇カロリーとする。)を摂取するための簡素な献立表を作成(国立栄養研究所に作成を依頼)し、これを基にして一カロリーあたりの食料費単価を計算する。〈3〉この単価にモデル世帯の年齢に応じた年間所要カロリーを乗じて各世帯ごとの年間所要食料費を算出する。〈4〉この食料費を総理府の家計調査から求めたエンゲル係数で除して消費支出金額を求める、というものである。このようにして算出された生計費は基準生計費といわれるが、右生計費は生活保護の基準となるようないわゆる最低生活費を指すものでないことはいうまでもないが、想定すべき生活内容をどの程度と考えるか、食料品の価格及びエンゲル係数をどのように定めるか等の困難な問題があるのでその額に絶対的意味を持たせるべきではなく、この他所得税の所得再分配機能や税務の執行能力等の観点も勘案して決すべきものとされた。(3) その後課税最低限は毎年一〇数パーセントの伸び率で引上げられたが、昭和四三年七月三〇日付の答申においてはわが国の平均国民所得にしめる課税最低限の割合及びその国際比較、家計調査による消費支出金額との比較、国民所得及び貯蓄水準の動向等を検討した結果、課税最低限は累年の引上げにより生計費との関連では相当程度改善されてきているが、所得水準や貯蓄水準からみると先進諸国に比して相当低い現状であることから課税最低限はある程度貯蓄のためのゆとりを織り込んだ水準が望ましいとの観点にたち、夫婦子三人の給与所得者で一〇〇万円程度に引き上げるのが妥当であるとの答申をした。(4) そして昭和四六年度の課税最低限については、同年八月の長期税制のあり方についての答申によれば、前同様の観点からの検討を加えているが、課税最低限の国際比較においては夫婦子二人の給与所得者の場合でみると昭和四六年でわが国は九六万三七二七円で、アメリカの一三一万四〇〇〇円及びフランスの一〇六万二二七〇円に及ばないものの、イギリスの八六万〇五四四円、西ドイツの七八万四九一三円を上回つていることから一応相当の水準に達しているものとし、生計費との関連については昭和四一年まで基準生計費の算定が行われ課税最低限決定の一基準として用いられて来たが、その後の引上げの結果もはや意味がなくなつたとして算定されないでいたところ、かつての昭和三九年に作成された献立表に基づき昭和四〇年の食料品価格で算定した生計費をその後の消費者物価指数で引き伸ばした仮定生計費を算定し、これと課税最低限と比較すると四人世帯で昭和四六年の仮定生計費が六四万六五六三円であるのに対し課税最低限は九六万三七二七円でその比率は一四九・一パーセントであり、人事院が算定している標準生計費と比較すると四人世帯で昭和四六年の標準生計費が月額六万九二三〇円であるのに対し課税最低限月額は八万三六二〇円でその比率は一二〇・八パーセントであること、更に家計調査における勤労者世帯の消費支出金額と課税最低限とを比較すると、昭和四二年から同四六年にかけては課税最低限が消費支出金額のおおむね九〇パーセント程度を占めていることなどから、課税最低限と生計費との関連はそれほど重要な意味を持たなくなつたとしている。

右事実によれば税制調査会における課税最低限をめぐる審議の内容及びその推移は最低生活費に税負担が食いこむべきではないとする点ではほぼ一貫していたものということができるところ、昭和三〇年代初めはともかくその後次第に課税最低限が引き上げられ、昭和四〇年代に入つてからはある程度の貯蓄のためのゆとりを織りこんだ水準に課税最低限を定めるべきであるとの論議に移行したものということができるから、かかる論議の内容及び推移は立法府と税制調査会との関係にかんがみれば立法府においても考慮されて来たものと推認することができる。

4  ところで課税最低限を定めるにあたつて何が健康で文化的な最低限度の生活であるかの認定判断は前示のとおり立法府の合目的々な判断に委ねられており、立法府の定めた課税最低限が現実の生活条件を無視したことが一見明白なほどの低額である場合にのみ違憲の問題を生ずべきものと解すべきであるから以下この観点から昭和四六年度の課税最低限につき検討する。

(一) 税制調査会における課税最低限の決定方法について

先ず仮定生計費についてみると、その算定方法は既に述べたとおりであるところ、成立に争いのない甲第一〇号証、証人谷山治雄こと三浦誠の証言によれば、仮定生計費の基となつた献立表は通称大蔵省メニユーと称されその献立内容が日常生活にややそぐわない面を有していること、食料費算定に利用される統計値がほぼ一年前のものであること、昭和三九年当時に算定した基準生計費を単に消費者物価指数で引き伸ばして仮定生計費を算定したにすぎないため生活の質的向上の面が無視されているなどの批判がなされていることが認められる。

次に標準生計費についてみると、成立に争いのない甲第一七号証及び原本の存在と成立に争いのない甲第三五号証、第三六号証の一、二、第三七、三八号証並びに証人松井朗の証言によれば、標準生計費とは人事院が国家公務員の俸給表改善の勧告を行うための一資料として算出するものであるところ、右生計費は公務員の俸給水準を検討する目的で作成するため人事院が設定した有業人員一名の単身、夫婦、夫婦及び子供の世帯を標準世帯として想定し、これら世帯の生計費を算定するものであるが、その原資料は主に総理府の家計調査の結果を利用して行われるところ、その問題点としては右標準世帯についての統計資料が少ないこと、二人世帯以上を対象とする家計調査の結果に基づき単身世帯のマーケツトバスケツトを組むため単身世帯の特殊性が生計費に現われにくいこと、世帯人員数別費目別換算乗数(通称マルチプル)算出にあたり並数階層の数値を使用すること、単身世帯の費目別消費支出金額を推定するのに最少二乗法による際、零人世帯の支出は零円であると仮定し、零点通過の二次式を用いること等のため生計費がかなり低く算出されるとの批判がなされていることが認められる。

更に家計調査における消費支出金額についてみると、成立に争いのない甲第一六号証、第二三、二四号証及び乙第二七号証並びに証人宮崎礼子の証言によれば、総理府の家計調査は全国の非農林漁業世帯(農林漁業世帯のほか、単身者世帯、料理飲食店、旅館等を除く。)を任意抽出法により約八〇〇〇世帯選び、これら世帯の六個月にわたる家計簿記入に基づき行われるものであるところ、かかる調査は調査方法からくる制約のため上層偏向を生じやすいこと、調査の主目的が国民経済計算や消費者物価指数の算出を目的とするため個々の生活実態の把握には不十分であること等の批判が存することが認められる。

以上によれば右各統計資料には調査方法、目的等からくる制約のため課税最低限確定のための資料としてはそれぞれ難点を蔵しているものといえなくもないが、元来健康で文化的な最低限度の生活なるものは何らかの統計資料により一義的に確定し得るようなものではないことは既に述べたとおりであるところ、右統計資料についてもこれらを絶対的基準としているわけではないし、仮定生計費についてみれば、仮に献立内容に日常食生活とそぐわない点や食料費が低目であるなどの点はあるとしても、昭和四六年度の課税最低限は仮定生計費の約一・五倍の水準にあること、また家計調査については実態生計費としての価値は評価すべきものがあるというべきであるし、この家計調査に基づく消費支出金額の九〇パーセントを課税最低限が占めていること等に照らすと本件係争年度の課税最低限が一見明白に現実の生活条件を無視しているものとは到底いえないのである。

(二) 総評理論生計費について

(1) 成立に争いのない甲第三号証、第一七号証、第二〇号証、第二二号証、原本の存在と成立に争いのない甲第二九号証、成立に争いのない乙第二六、二七号証、第三〇号証、証人宮崎礼子の証言によれば次の事実を認めることができる。

理論生計費とは最低生計費算定の一つの方式である理論生計費方式により算定された生計費を意味するところ、右理論生計費方式とは労働力の再生産のために必要な最低限度の生計費を各家計費目ごとに生活科学上の知見(食料費は栄養学、住居費は住居学、被服費は被服学上の理論に基づくという具合に)に基づいて算出し、これを積み重ねて最低生計費を算出する方法である。右方式は生活関連諸科学の理論的成果を活用し得ることや支出が収入に拘束されないなどの長所を有するものであるが、反面各家計費目の内容をなす生活物資の種類及び数量の選択において客観性を確保し難く、主観的恣意的になりやすい弱点を有するものである。

ところで総評理論生計費は、日本労働組合総評議会(略称総評)が前記宮崎礼子らに委嘱し理論生計費方式を採用して最低生計費を算定したもので、これまでに昭和三八年一〇月の「新しい現論生計費」以来、同三九年一月、同四一年一〇月、同四四年四月、同四八年八月を各基準とし、五回にわたつて発表されてきているところ、右昭和四八年八月の総評新理論生計費についてその作成の基本的考え方をみると、右にいう生計費とは、東京における「一般的生活様式にもとづいた標準的な生計費」を意味し、右の標準的とは現在の生活環境においてどうしても必要だと考えられる生活内容つまり「社会進歩の現段階に相応する理論生計費」を指すものとしている。算出にあたつてはマーケツトバスケツト方式を採用し、生活のモデルとしては新たに春闘共闘賃金専門委員会での労働者の「あるべき生活像」をめぐる議論を踏まえ、能動型、主体的行動型の余暇を考慮し、ハイキング、スキー、登山、家族旅行などの比重を高め、単身世帯では語学研修、複数世帯では主婦のけいこごと、夫の趣味(釣り)、長男のサイクリング、長女のピアノのレツスンなどを加味したこと、食事面においては栄養面だけでなく、食事を楽しむという性格を考慮し、晩酌を毎日とり入れた点において特色を有するものとしている。

このようにして算定された総評新理論生計費によると単身世帯(一八歳から二〇歳までの男子の初級熟練程度の労働者)で月額一三七、〇〇〇円(消費支出預貯金合計一一万六、一九七円)二人世帯(夫二七歳、妻二四歳前後の夫婦)で月額二五四、〇〇〇円(同二〇万一、一五一円)、四人世帯(夫四五歳、妻四三歳、男子一六歳、女子一四歳)で月額四五六、〇〇〇円(同三三万九、七〇二円)をそれぞれ要するものとされている。

(2) 右総評理論生計費が憲法第二五条第一項の定める健康で文化的な最低限度の生活を維持するための生計費の基準たりうるか否かにつき検討するに、税金及び社会保険料を含む総評新理論生計費の年額は、二人世帯の場合三〇四万八、〇〇〇円、同四人世帯の場合五四七万二、〇〇〇円になるところ、成立に争いのない乙第三号証(国税庁統計年報書昭和四八年度版)によれば昭和四八年における給与所得者総数二八一八万一、〇〇〇人のうち、給与所得の年額が三〇〇万円を超える者の割合は五・七パーセント、五〇〇万円を超える者の割合はわずか一・一パーセントにすぎないこと、理論生計費方式は生活物資の種類の選定にあたり主観の介入が不可避であるため客観性の確保が困難であるところ、前掲乙第三〇号証(賃金と社会保障一九七四年七月上旬号)によれば各産業別労働組合によつて算定された理論生計費は著しい差異(例えば、二人世帯についてみると商社(二七歳)は総評の約一・四倍、日本郵船は総評の約〇・七五倍等)を有していることなどにかんがみれば、総評理論生計費の基本的性格は総評にとつての望ましい生活水準ないしは将来の達成目標を示しているものと解するほかはない。

そうすると、健康で文化的な生活という憲法上の理念からすれば、その内容は固定的な性格のものではなく、国の政策目標として理想的レベルに達するよう常に向上改善のための努力が払われるべき性質のものではあるが、現実に違憲判断の基準として考察する場合にあつては、当該社会の文化的、経済的、社会的諸条件によつて規定されざるを得ないのであるから、前記理論生計費をもつて健康で文化的な最低限度の生活を維持するための生計費の基準とすることは到底できないものといわねばならない。

(三) よつて、原告らの総評理論生計費(昭和四四年四月発表のもの)又は総評新理論生計費と昭和四六年の課税最低限とを比較して課税最低限を構成する控除項目を定める所得税法の諸規定が憲法第二五条に違反するとの主張は前提を誤つたものであるから失当というべきである。

(四) 原告らの適用違憲の主張について

原告らは、原告らから所得税を徴収することは憲法第二五条が保障する健康で文化的な最低限度の生活を侵害することになるから許されないと主張する。

原告らの昭和四六年中の給与収入は合計二七一万六六一六円であり、納付した所得税額は合計一五万二一〇〇円である(以上の事実は当事者間に争いがない。)ところ、原告池畑ふ志の本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第一号証の一、二、証人宮崎礼子の証言、原告両名の各本人尋問の結果によれば、原告ら家庭の昭和四六年中の月平均収支の内訳は別表一記載のとおりであること、原告らは昭和四四年に居住用の土地建物を購入し、労働金庫等から合計五五〇万円を借り入れたためその返済及び親への仕送りのために月額約五万二八〇〇円余りの出費があること、原告らはいわゆる夫婦共働きであるため外食費、交通費等に多くの出費を要することなどが認められ、これらによれば一応原告らは切り詰めた日常生活を営んでいるものと推測されるが、他方成立に争いのない乙第一号証の一(総理府統計局の家計調査年報(昭和四六年)の「年間収入階級・年間五分位階級別一世帯当たり年平均一か月間の収入と支出」)によれば原告らの収入金額は極めて上位(集計世帯数四、九六四のうち、上位六・九パーセント以内の階層。因みに年収の平均額は一四三万三〇〇〇円である。)に位置付けられるし、消費支出額についても全世帯平均消費支出金額の約一・八六倍に位置付けられることが認められ、これらによれば原告らから前記程度の所得税を徴収することにより健康で文化的な最低限度の生活が侵害されるものとは認められず、他にこれを認めるに足る証拠はない。なお原告らが主張する総評新理論生計費修正額は総評新理論生計費とその性格を同じくするものであることはその主張自体から明らかであるから最低生計費の基準たり得ず、これを前提とする原告ら主張も失当である。

四  結論

以上の次第であるからその余の点につき判断するまでもなく原告ら主張はいずれも理由がないものというべきであるからこれらをいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、九三条本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 藤田耕三 原健三郎 田中信義)

別表一

池畑家46年

1月~

12月平均

総理府勤労者世帯

(46年)東京都区部

大都市勤労者世帯

年間収入別

2,503~2,999,999円

収入総額

実収入

勤め先収入

世帯主収入

定期

臨時

賞与

妻の収入

他の世帯員収入

事業内職収入

他の実収入

実収入以外の収入

(預金引出)

(月賦)

繰入金

支出総額

実支出

消費支出

食料費

住居費

光熱費

被服費

雑費

非消費支出

勤労所得税

他の税

社会保障費

その他

実支出以外の支出

(預金)

(保険掛金)

(土地家屋借金返済)

(他の借金返済)

(月賦払)

(その他)

繰越金

259,345円

227,634

227,634

123,495

104,139

31,711

14,147

17,564

259,345

196,900

169,795

39,669

21,347

5,338

14,701

88,740

27,105

12,675

5,681

8,749

62,445

583

46,028

1,666

14,168

213,264円

135,173

125,456

116,514

87,328

4,240

24,946

3,595

5,346

5,216

4,501

34,896

43,195

213,264

114,124

102,604

32,195

12,824

3,535

10,627

43,423

11,520

4,246

2,947

4,167

160

55,363

36,218

5,894

1,414

1,690

2,645

7,503

43,777

330,318円

222,475

210,903

174,613

124,123

44,535

36,290

6,120

5,452

49,598

58,243

330,318

177,071

150,022

37,626

14,531

5,006

16,848

76,010

27,049

92,135

61,111

別表二

総評新理論生計費

2人世帯

(昭48年8月)

東京都区部

消費者物価指数で

昭46年に換算(註3)

子ども経費

(昭46年)

(註4)

総評

新理論生計費

修正額

食料費 34,613→31,853(註1)

(昼食2人分を引く)

住居費 28,966

光熱・水道費 4,349

家具什器費 10,837

被服身の廻り品費 37,114

保健・衛生費 5,711

教養娯楽費 16,585

交通通信費 5,463

職業関係費 20,400→34,400(註2)

(昼食2人分とその他妻分8,000円を加える)

その他の雑費 6,113

26,820

25,055

3,905

9,980

28,875

4,917

13,699

4,889

29,790

5,294

8,863

613

979

3,040

1,546

2,703

35,683

25,055

4,518

10,959

31,915

6,463

16,402

4,889

29,790

5,294

消費支出計 170,151

153,224

17,744

170,968

別表三

総評

新理論生計費

修正額

池畑家

光・水

家・什

被・身の廻り

保・衛

教・娯

交・通

職業

その他

消費支出合計

35,683

25,055

4,518

10,959

31,915

6,463

16,402

4,889

29,790

5,294

170,968

33,182

2,527

6,295

17,863

14,701

11,449

18,054

8,929

22,030

34,765

169,795

別表四

光・水

家・什

被・身の廻り

保・衛

教・娯

交・通

職業

その他

消費支出合計

33,182

2,527

4,518

10,959

14,701

11,449

16,402

4,889

18,453

5,294

122,374

表二の註

註1 総評新理論生計費の妻は就業していない。そこで夫と妻の二人分の昼食費を食料費から差し引き職業費へ。

註2 昼食費二人分を職業費に加え、妻の就業による職業関係費を八、〇〇〇円とみて加算。

註3 東京都区部消費者物価指数(中分類)に基き、四八年八月の理論生計費を四六年におき換える為の指数は次の通り。

食料費八四・二 住居八六・五 光熱八九・八 家具什器九二・一 被服七七・八 保健衛生八六・一(中分類理容衛生)教養娯楽八二・六 交通八九・五 職業八六・六(中分類雑費) その他雑費八六・六(同上)

註4 子ども経費の算定は次の手順である。

食料費―三才男子 労研消費単位〇・五 成人男子四八年八月二一、〇五三円を四六年にすると一七、七二六円 その〇・五で八、八六三円

総評理論生計費において幼児を設定したのは、昭和四一年の算定(労働経済社単身・三人・五人世帯の理論生計費)で男子三才の三人世帯。

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